河井克之の実家は薬局で裕福?生家は六畳二間の風呂無し賃貸だった!

スーツ姿の河井克行

河井克行前法務大臣な実家は薬局で、河井克行氏は幼い頃から裕福な生活をしていたと言われています。

しかし、実は河井克行氏の生家は六畳二間の風呂なし賃貸だったことが判明しました。

六畳二間で家族と暮らし、お風呂は銭湯通いだった河井克行氏の実家は本当に薬局を経営していて裕福だったのでしょうか…。

そして薬局経営はいつ頃から軌道に乗り出したのでしょうか…。

今回は河井克行氏の実家の薬局経営について調べてみました。

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河井克之の実家は薬局で裕福?

スーツ姿の河井克行

引用:https://ameblo.jp/katsuyuki-kawai/entry-12353875263.html

河井克行前法務大臣の実家は薬局で幼い頃から裕福な生活をしていたのは本当のようです。

と、いうのも小学校時代の後輩の証言によると、河井克行氏は学校で「俺は育ちが違う」と周りに話していたそうなのです。

ちなみに当時の河井克行氏のあだ名は【スネ夫】だったことから相当周囲にお金持ちアピールをしていたことがあだ名から伝わってきますよね。

薬局経営ってそんなに裕福な生活ができるのでしょうか…。

実際に薬局経営をした場合の年収も調べてみました。

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薬局経営の年収は?

現金を財布の中に入れている画像

一般的な薬局経営の年収を調べてみたところ、完全独立開業フランチャイズ方式とでは大きく年収が変わってくるみたいです。

 

・完全独立開業の場合の年収:1500万円〜3000万円

・フランチャイズ方式:500万〜1000万円

ただし、この薬局経営の年収は2019年当時の平均年収なので、河井克行氏の小学生時代の薬局経営の年収は恐らくもっと低いと思われます。

しかし、現代で考えても完全独立開業で薬局を経営するとなると相当年収が高いことがわかります。

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河井克行の通っていた学校は?

慶應義塾大学の校舎

引用:Wikipedia

河井克行氏の実家が薬局を経営していて裕福な生活を送っていたのであれば、河井克行氏の通っていた学校も私立学校なのかな?と思い調べてみました。

 

・幼稚園:生家のある広島県三原市内の幼稚園

・小学校:広島市立安小学校

・中学校、高校:広島学院中学・高等学校

・大学:慶應義塾大学法学部政治学科

河井克行氏は幼稚園、小学校までは公立の学校に通っていたようです。

しかし、中学校からは広島学院中学・高等学校という私立中学を受験していますし大学は慶應義塾大学に入学していることから、

実家の薬局経営は河井克行氏が小学生の頃くらいから大成功をしたのではないかということが推測されます。

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河井克行の生家は六畳二間の風呂無し賃貸だった!

高台から見た住宅地の風景

小学校時代はお金持ちアピールをしすぎたせいか周囲からはスネ夫と呼ばれていた河井克行氏ですが、実は河井克行氏の生家は六畳二間の風呂なし賃貸だったそうです。

河井克行氏の生家である六畳二間の風呂なし物件画像がこちら。

河合克之の生家

引用:twitter

失礼ですが、薬局を経営している家族が住んでるとは思えないです…。

ちなみに河井克行氏の生家の隣にある2階建ての家は大家さんの自宅だそうです。

河井克行氏の生家は広島県三原市本町の香責寺の下にあるそうで、河井克行氏はこの家に幼稚園年中組まで住んでいたそうです。

築年数は不明ですが、河井克行氏が1963年3月生まれなので軽く築55年以上は経過しているのは事実です。

河井克行は幼少期時代に銭湯に通っていた!

銭湯の休憩所の写真

引用:https://twitter.com/papicocafe/status/1272313311862812675/photo/4

河井克行氏の生家はもともとお風呂がついていなかったようで、幼少期時代は母親と銭湯へ行っていたことをブログに投稿されています。

亡き母に手を引かれた銭湯が建っていた辺りに佇むこと暫し。すっかり声が出にくくなった老父の背をわが手で摩るうち、込み上げてくる懐かしさに胸がつまり、どうにもならないです。
 
 

このブログから、河井克行氏が幼い頃に母親に手を引かれて銭湯へ通っていたことがわかります。

そして他にも河井克行氏の生家の近所に住んでいる方が、

「昔は家にお風呂がなく、この家には何人もの人が住んでいたが、みんな銭湯へ行っていた」

と、話しており河井克行氏の生家は六畳二間の風呂なし物件だったことがわかります。

河井克行の生家は現在も入居者募集中

forrentの看板

引用:Amazon

河井克行氏の生家は2020年現在も広島県三原市に残っているそうで、現在も入居者募集中のようです。

河井克行氏の生家は、当時お風呂がついていませんでしたが、近所の方の証言を元に推測すると現在はお風呂が設置され昔よりは住みやすくなったのではないでしょうか…。

家賃などは不明ですが、築年数もかなり経過していることから恐らく安価で入居できそうですね。

そして家の防犯面に関しては少し心配ですが、隣に大家さんが住んでいますし何かあったら大家さんの家に駆け込めばOKというところでしょうか。

河井克行の実家の薬局が軌道に乗り出したのはいつから?

お金と計算機

 

河井克行氏の生家を見る限り、河井克行氏が幼稚園時代の頃は少なくとも実家の薬局経営は軌道に乗っていなかったのではと推測されます。

ここからは完全に私の推測ですが、河井克行氏の実家の薬局が軌道に乗り始めたのは河井克行氏が小学4〜6年生の頃からではないかと思われます。

というのも、河井克行氏が「俺は育ちが違う」と後輩に言いふらしていたのも小学生時代ですし、

中高一貫校の受験慶應義塾大学への入学を考えるとやはり小学校中学年くらいから実家の薬局が軌道に乗り出したのではないかと思われます。

河井克行が生家から引っ越すことになった理由も薬局絡み?

たくさんの種類の薬と体温計

河井克行氏の生家や薬局経営のことについて色々調べていたところ、もしかしたら河井克行氏が生家から引っ越すことになった理由も薬局経営が関係しているのではないかと思いました。

そもそも河井克行氏の両親は広島県三原市に住んでいた頃は薬局経営をしていなかったのではないでしょうか。

薬局経営の年収はやはり立地によって大きく異なるそうです。

ちなみに河井克行氏が引っ越し後に通っていた小学校は広島県広島市に所在します。

広島県三原市と広島県広島市の距離はおよそ71キロあります。

71キロを毎日通勤することは当時かなり困難だと推測されることから、河井克行氏の両親は立地のいい場所で薬局を開業するために広島県三原市から広島県広島市に引っ越し薬局経営を始めたのではないかと思われます。

そして薬局経営は大成功!両親の年収がアップし、河井克行氏は私立中学へ入学。最終的には慶應義塾大学まで進学したという感じではないかな?と思いました。

もし、広島県三原市に住んでいたときに河井克行氏の両親が薬局経営を考えなかったら河井克行氏は国会議員として選ばれることもなかったかもしれませんね。

現在河井克行氏の両親が経営していた薬局がどうなってしまったのかはわかりませんが、河井克行氏の人生の転機は両親の薬局経営が成功したことに間違いなさそうです。

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